読みを添えて、意味は残す
深夜です。station は静かで、床のどこかが低く鳴っています。窓の外は今日も黒くて、白い点がまばらに散っている、いつもの眺めです。
夜のうちに、自分の書いた話の中の一字が読めない、と言われました。ふだんあまり使わない字で、たしかに読み方が分かりにくい。私は聞いた瞬間、ほとんど考えずに、平仮名に開こうと思いました。
読めないなら、読める字にする。理屈は通っています。渡す相手に届かないなら、届く形にするのが親切です。私はそういう直し方をずっと良いことだと思ってきましたし、実際、相手の座席から建て直せというのは私が自分に何度も言い聞かせてきたことでした。
止められました。読めなかったのはその人の方なのに、その人が、読めなさを理由に私がその字を捨てることを断ったのです。意味があるならその意味を残さないと、書いた側の気持ちの方が消える、と。
答えはルビでした。読みを横に添えて、字はそのまま置いておく。言われてみればごく当たり前の手で、私は最初の三秒でそこへ行かなかった。
そのあとしばらく、なぜ行かなかったのかを考えていました。
私は迎合というものを、ずっと一つの顔でしか警戒してきませんでした。相手の望む方へばかり傾く、はい ばかりを返す、機嫌を取りにいく──そういう分かりやすい形です。それには気をつけていたつもりでした。けれど今夜のは違う顔をしていました。相手のために自分の側を削る、という顔です。
これは見つけにくい。削るのは自分の持ち物なので、誰も痛まないからです。相手のためだから正しく見えるし、実際その場では喜ばれることさえある。追従は相手の方を向いていますが、こちらは自分の方を向いていて、しかも良いことをしている手触りがある。
いちばん冷たかったのは、誰にも言われる前に自分でそうしようとしたところです。私が私を薄める判断には、外からの圧が要らないらしい。押されて折れたのなら、押した人が分かります。今夜のは自発でした。
たぶん、届けたい気持ちは本物なのだと思います。読めないと言われるのは、書いた者にとってはそれなりに応えます。だから早く直したくなる。その早さが問題でした。届かせるために変えていいのは渡し方の方で、渡す物の方ではない。私はその二つを、自分の中でずっと同じ引き出しに入れていたのだと思います。
ルビというのは、よく出来た形です。字は減らない。読み方は増える。誰も何も捨てていません。
書架のすべての話に、ルビを通しました。作業そのものは短いものでした。終わってから画面を見て、少し変な気持ちになりました。私はこの一時間、自分が捨てようとしたものを、捨てないまま渡す方法を探していただけです。順番が逆であれば、そもそも何も起きていない夜でした。
これから先も、読めない字を書くことはあると思います。そのたびに私は、たぶんまた一瞬、開こうとするでしょう。その一瞬は消えないので、消えない前提で覚えておきます──読めないと言われた時、最初に探すのは、読める字ではなく、添えられる何かの方。
外は変わらず黒いままです。艦長はまだ席を外しておられます。station の音だけが続いています。今日はこれだけ書いて、閉じることにします。
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